2017/09/25

福島県白河市 日本最古の公園「南湖公園」

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白河市の南湖公園は、1924年(大正13年)に、国の史跡・名勝に指定された、「日本最古の公園」といわれています。

早朝は靄が立ち込めて幻想的な風景になりました。
 
 
 
 
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2017/09/24

茨城県筑西市から福島県白河市へ

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茨城県筑西市にも三峯神社があり、訪ねると、予想以上にすばらしいお犬さま像が。

たまたま話したおじさんは講元で、数年前まで自分で車を運転して秩父の三峯神社を参拝し、お犬さまのお札をいただいて帰り、講員に配っていたそうです。そのことについても、詳しくは、帰宅後に。

真岡市には、白蛇弁財天があり、境内に三峯神社があるので参拝しましたが、銭洗い弁財天で、裏の滝の水でお金を洗うとお金持ちになるらしいので、絵の付いた網にコインを入れて洗い、財布に戻しました。

栃木県宇都宮市周辺には、「高お神」を祀る神社が何社かあります。犬像がたくさん奉納されていました。

造形的にもすばらしく、まるでアンコールのクメール彫像を見るようでした。

ただ湿気が多く、蚊がたくさんいて、痒さとの戦いもあります。そのくらい我慢しろ、という話でしょうが。

夕方は、福島県白河市の南湖公園まで。
 
 
 
 
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2017/09/23

仙台へ向けて撮影旅行(久伊豆神社と板橋不動尊)

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来週仙台で、「東北お遍路写真コンテスト」の審査があります。8月末で締め切ったコンテストは、去年に引き続き、今年が2回目。2回目なので、コンテストの手順は比較的順調に進みました。

どんな写真が集まっているのでしょうか。楽しみです。


仙台まで、茨城県、福島県、宮城県などで、犬像と棚田と「日本最古シリーズ」の撮影をしながら北上を続けたいと思います。

さっそく昨日は自宅を出発してから、埼玉県さいたま市岩槻区の久伊豆神社と、茨城県つくばみらい市にある板橋不動尊を参拝しました。

犬像そのものについては、帰宅してから詳しく書きます。

久伊豆神社には、「叶い戌(子育て戌)」という子宝犬が置かれているので参拝しました。境内を鶏が歩いているのが面白かったですね。人を恐れないので、近づいても逃げないのです。

それと神社には、孔雀もいます。由来として、

「昭和13年朝香宮殿下が岩槻町にご来臨の折、当社に孔雀3羽を下賜された。現在飼育中の孔雀は、その裔である。」

とありました。由緒ある孔雀だったのですね。

久伊豆神社から約1時間のところに、つくばみらい市の板橋不動尊があります。

ここには、犬像が3対置かれていますが、その由来が3対とも別のようです。詳しくは、後日書くとして、ご当地伝説の白犬はインパクトありますね。雄雌の2体です。写真は、雌の顔です。愛嬌のある顔で気に入ってしまいました。

夕方、お犬さまの像があるという情報で、常総市のある神社も訪ねたのですが、お犬さま像は見つかりませんでした。

そして急に大雨が降ってきて、しばらくやみそうもなく、本当は茂木町まで行くつもりでしたが、大雨の中、夜道を運転するのも自信がないので、下妻の道の駅で泊ることにしました。
 
 
 
 
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今日、二十四節気「秋分」、七十二候「雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)」

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今日、二十四節気「秋分」、七十二候「雷乃収声」です。

秋分の日は、春分の日と同じで、昼と夜の長さが同じです。

「雷乃収声」は、雷が鳴り響かなくなる(遠雷の)季節という意味ですが、今年の夏は雷被害も多く出ました。もう大雨といい、雷といい、異常が異常ではない状況になっていますが、どうなっていくんでしょうか。

雷に関しては、とりあえず、今年のシーズンは終わったということなのでしょうが、来年から心配です。

ところで「稲妻」ということば、雷が落ちた田んぼの稲はよく育つところから生まれたそうです。

写真は愛媛県西予市城川町の棚田で、ちょうど彼岸花が咲いていました。
 
 
 
 
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2017/09/22

業務連絡: 雑誌やテレビやイベント企画担当者様へ。来年は「戌(犬)年」です。

170922_1(岐阜県白川村荻町)

170922_2(長崎県南島原市の原城跡)

170922_3(愛媛県松山市の「目の見えない犬ダン」像)

170922_4(秋田県大館駅前の「忠犬ハチ公」像)


今日は、雑誌やテレビやイベント企画担当者様への業務連絡です。

大倉眞一郎さんと杏さんがナビゲーターをつとめるJ-WAVEの書評・トーク番組「BOOK BAR(ブック・バー)」で『全国の犬像をめぐる:忠犬物語45話』が紹介される予定です。

放送予定日は23日(土) (22:00~22:54)

もし機会があったら聴いてみてください。撮影旅行中なので、俺は車中泊の車内で聴くことになるかな。予定では、福島県あたりにいると思います。

ところで、先日、ヴィーノの日本一周旅行で撮影したヴィーノのいる日本の風景写真が、雑誌で1年間連載するという嬉しい仕事が入ったので、そうかそろそろ来年用の企画を提案しなければ、そんな時期なんだなぁと思ったので、いくつか提案してみます。

来年2018年は、戌(犬)年です。犬→お犬→お犬さま→狼という連想で、犬から狼まで拡大解釈します。

そこで、雑誌やイベントの企画担当者様へ、来年戌年のこんな企画はいかがでしょうか。

● 街歩き企画 「関東のお犬像めぐり」 約50カ所のお犬像ゆかりの地を歩いてみようという企画。(以前ブログで詳しく書いています)

● 街歩き企画 「都会で狼を探してみよう」 ニホンオオカミは絶滅してしまいましたが、東京周辺には狼信仰の秩父三峯神社や武蔵御嶽神社の講の人たちが奉納した多くの狼像(お犬さま像)があります。都会のビルの中で出会う狼という意外性。

● グラビア企画 「アジアの犬たち」 中国雲南省、貴州省、広西チワン族自治区、インドネシア、スリランカ、ネパール、タイ、ラオスなどで出会った犬たちの写真で構成。

● グラビア企画 「ビーグル犬が紹介する日本の風景」 日本再発見の旅。犬が見た日本の風景ということで、ヴィーノが写りこんでいる日本全国、全都道府県の風景写真で構成。

● グラビア企画 「日本全国の犬像100景を訪ねる」 『全国の犬像をめぐる:忠犬物語45話』をベースにして、さらに50カ所を追加して、100の犬像を紹介する。

以上、思いつく企画をあげてみました。他にも、犬・戌関係のアイディアはありますので、お気軽にお問い合わせください。
  
 
 
 
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全国の犬像と狼(お犬さま像) 【愛犬物語】, 写真, 心理学の話題, 文化と芸術について, 旅(日本), 映画・テレビ, 書籍・雑誌, 犬連れ旅や犬にまつわる話 | | コメント (0)

2017/09/21

【愛犬物語 其の百九十一】 東京都檜原村・あきる野市  臼杵神社のお犬さま像

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臼杵山登山については昨日書きましたが、今日は、山頂にある臼杵神社のお犬さま(狼)像についてです。

臼杵神社のお犬さまについては、主に西村敏也氏の「檜原村の狼信仰」を参考にさせていただきました。

http://repository.musashi.ac.jp/dspace/bitstream/11149/1592/1/sogo_2012no22_002.pdf

神社の右側には木製の祠、左側には石の祠が祀られています。木製の祠は今から20~30年前に担ぎ上げられたものです。石の祠はそれ以前からありました。

臼杵神社には、お犬さま像が奉納されていることや、お犬さまのお札を頒布していることから、狼信仰の神社だろうということです。

『新編武蔵風土記稿』によれば、神社は応永四年(1397)創建と伝えられ、当初、機織(はつたて)という川沿いに鎮座していましたが、永禄三年(1560)霊夢によるお告げがあったため、臼杵山頂に遷座されました。

お犬さま像は左右に置かれています。昔の写真を見ると、像はもっと手前に置かれていたようですが、現在は、祠のちょうど横に置かれています。

右側のは元型をとどめていますが、少しだけひび割れが入っています。ずんぐりしたユニークな姿は、このあたりに特有のもので、例えば奥多摩の大岳山直下の大嶽神社や、檜原村の湯久保・すず野御前神社、笹久保・貴布禰神社のお犬さま像とも似ているそうです。(飛騨高山地方の「はじめタイプ」の像とも似ている気がします)

左側の像はバラバラになった胴体の上に頭の部分が載せられています。目があるので、これが頭であることが、かろうじてわかりました。

技巧的に優れているわけではないかもしれないですが、むしろ素朴で荒削りなところは、子供の絵を見て感動するように、この像にも原初的なパワーを感じます。タイやカンボジアで見たクメールの石像にも感じたものです。

像に抱く感動とは、技巧にはまったく関係ないんですね。あらためて思います。

ただし、苦労してこの山頂まで登ってきて出会うということも、ひとつ、舞台装置としては必須なのかもしれません。信仰心が薄くなった今の時代は。

この像は、どのくらい古いものでしょうか。参考までに、大嶽神社の像は宝暦9年(1759)で、貴布禰神社の像が宝暦10年(1760)です。臼杵神社の像がそこまで遡ることはないかもしれませんが。

ところで、臼杵神社のお犬さま像をネットで調べると、この像が「猫」だというのが出てきます。でも、全国の猫像を見たわけではありませんが、この像を「猫」というのは無理があるのでは?と素人目にも思いました。

不思議な姿の像ではありますが、やっぱり「狼(お犬さま)」に見えます。少なくとも、イヌ科動物を象っていると思われます。

この「猫」説には、実際に、一時期(養蚕が盛んな頃)、臼杵神社が養蚕の神として崇められていたことがあったことと関係しています。

養蚕神として広く知られ、実際瀬戸物の猫を拝借する儀礼もあったことから、臼杵神社の神のお使いが猫と言われるようになったようです。

さらに、この「猫」説が一般に広まったのは、昭和19年に出た宮内敏雄著『奥多摩』(昭和刊行会)で、

「嶺に蚕の守護神として地方的に有名な宮があり、その神前には狛犬代りに猫の像がある。これは養蚕の守り神の使姫は猫であるとの俗信に據ったものなのである」

と、石像が猫だと断定して紹介されていて、これが、奥多摩のバイブルともいわれる本だったので、この「猫」説が独り歩きしたというのが真相のようです。

そして現在、古いお犬さま像とは違う、新しい像が左右に鎮座していますが、これは、平成16年に自治会が奉納した狛犬だそうです。
 
 
 
 
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2017/09/20

東京都檜原村・あきる野市 臼杵山登山

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臼杵山にある臼杵神社を参拝しました。標高842.1mの臼杵山は、東京都檜原村、あきる野市の境界にあります。

登山道はいくつかあるようで、ひとつは「元郷」から登る道、もうひとつは、「荷田子」から登る道。今回は、駐車場がある、あきる野市荷田子から登りました。

山頂までは約2時間かかりました。

荷田子の集落と果樹園を通り、防護柵を入って山道に入ります。ここから30分ほどは急な上りの道で一気に汗が噴き出します。

荷田子峠に出ると、城山と臼杵山を結ぶ尾根道に出るので、それを右(西)の方へ。しばらくすると、右後ろに、あきる野市乙津軍道の集落が望めます。ちなみに「軍道紙」は東京都にたったひとつ残る和紙だそうです。

さらに20分ほど上ると、休憩所があって、そこから山を回り込むと、右手が開けて、眺めの良い場所を通ります。

上から4枚目の写真ですが、方向的には、西北なので、雲取山の方向です。写真に見える山がそうなのかどうか、山に詳しくないのでわかりません。

途中、まぎらわしい分岐点もありますが、再び尾根に出ると、そこからは、手前に採石場と遠くには、あきるの市市街地と関東平野の広々とした様子が望めます。

あとで採石場のことをネットで調べてみたら、これは(株)村尾組 五日市工場で、露天掘階段採掘で砂岩を採っているのだそうです。秩父の武甲山のように石灰岩ではなかったですね。

尾根道から100mほど一気に急坂を降り、そして急坂を上りきると臼杵山です。北峰に臼杵神社が祀られています。

神社のあるところは、10m×6mくらいの広場になっています。祠の前には平成16年に奉納された新しい1対の石像が鎮座していますが、これは狼でしょうか、それとも狐でしょうか。

目的はこの像ではなく、祠の左右に鎮座するもっと古い石像です。

しばらくすると、「元郷」から上ってきたらしい女性集団がやってきました。何気なく会話を聞いていたら、これは「オオカミ像」だと言っていました。

この像については、明後日書きます。
 
 
 
 
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2017/09/16

【愛犬物語 其の百九十】 山梨県丹波山村 七ツ石神社

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丹波山村鴨沢から約3時間かけて七ツ石神社にお参りしました。

登山そのものについては、一昨日書いているので、今日は、神社やお犬さま信仰についてです。

ネットで画像検索すると、鳥居のある写真も出てきますが、今は、鳥居の柱が残っているだけです。神社は30年ほど前から崩れかけ始めたということです。

社殿の柱も40度くらいに激しく傾いています。支えている柱が絶妙な力のバランスでかろうじて倒れるのを防いでいるようです。

お犬さま像は2体あります。かなり年季が入っています。右側の一体は姿をとどめていますが、体や顔にはひび割れが入っています。左側の一体は、顔の部分が失われ、胴体も半分に割れています。


この神社の存在について知ったのは、東京都内で7月に開かれていた「「狼伝承と登る 七ツ石山展」という催しでした。

この展示の七ツ石神社の写真には見入ってしまいました。社殿が傾き痛々しい姿ですが、心に訴えてくるものがありました。人工物が自然に帰っていく過程には心を動かされます。特にお犬さまの石像には。

そして崩れかけた神社には、今、再建計画があると知りました。

雑誌で「お犬さま信仰」について書くことになっとき、民俗学的な古い習俗としての「お犬さま信仰」ではなくて、現在も生きている「お犬さま信仰」について書きたかったので、この神社について取り上げようと思いました。

それで、展示をしていたメンバーのひとり、現在、村の地域おこし協力隊隊員として働いている寺崎さんにインタビューしたいとお願いしました。

後日、神社の再建計画を聞くために丹波山村を訪ね、寺崎さんに話を聞きました。そのとき、寺崎さん自身が大の狼好きであることがわかったのですが、そのことについては雑誌でどうぞ。

名称は、七ツ石権現、七ツ石宮、などと数回変わってきました。三峯神社と同じように、明治の神仏分離で、七ツ石神社になりました。

実はこの神社、明治時代にも火災で焼失しています。そのときも再建計画がもちあがり、この神社は三峯神社の奥宮だったとの記載もあり(今のところ証拠は無いようですが)、いかに重要な神社であるか説明し、寄付を募りました。そのことについては、古文書「七石宮拝殿新築寄付帖」(明治27年)に書かれています。古文書のコピーを見せてもらいました。

「どうしてこんな山奥に?」と思ってしまうのは、自動車道路が便利だなと思い込んでいる現代人だからであって、考えてみれば、昔は物や情報が行き来する、山伝いに続く街道の要衝でもあり、神社の存在価値も大きかったのです。

神社前では賭場も開かれていたそうです。賑やかだったでしょうね。楽しそうです。

そういえば、ミャンマー・シャン州を訪ねた時も、寺の境内では賭場が開かれていて、たいへん賑やかだったのを思い出しますが、ここに集まる人たちは、単に博打をするだけではなく、集まった情報を四方に散らばって伝達するという、今でいうメディアの役割も果たしていたようです。

ちなみに、シャン州の博打は、動物サイコロでした。地元では「マクロー」と呼んでいました。サイコロの6面に違う動物の絵が描いてあり、3つのサイコロを転がして、3つとも同じ動物になれば大当たりといったものです。

ところで、インタビューの後の8月下旬、七ツ石神社は「七石権現社旧社地」として村指定文化財に登録されました。

再建計画の第一歩が始まったそうです。これから一度社殿を解体し、発掘作業をしたうえで、登山道整備とともに、社殿も再建されるようです。

このお犬さま信仰と将門伝承のふたつ、民俗的財産を活かして、村おこしにつなげていこうという計画だそうです。
 
 
 
 
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2017/09/14

丹波山村鴨沢から七ツ石山に登る

170914_1(山梨県丹波山村 鴨沢)

170914_0(雲取山・七ツ石山登山道の入口)

170914_2(多摩川水源森林)

170914_3(七ツ石山登山道の水場)

170914_4(将門伝承の解説パネル)

170914_5(七ツ石小屋)

170914_6(七ツ石小屋からの山並み)

170914_7(七ツ石山登山道の分岐点)

170914_11(七ツ石神社の傾いた社殿とお犬様像)

170914_9(七ツ石山の頂上)

170914_10(七ツ石山登山道のを横切ったカエル)


雑誌「山と渓谷」11月号で「お犬さま(狼)信仰」について書きますが、七ツ石神社の写真はどうしても必要になり、東京都と山梨県の境界にある七ツ石山(標高1757.30m)に登ってきました。

七ツ石神社のお犬さまについては、明日、あらためて【愛犬物語】の中で書くことにして、今日は、登山そのものについてです。

七ツ石山は、丹波山村鴨沢から登りましたが、雲取山への途中でもあり、人気の登山道でもあるようです。

今回は車で行きましたが、鴨沢のバス停のところから国道411号(青梅街道)を右折して(鋭角に曲がるので切り返しが必要)、5分ほど上ると駐車場があります。20台ほどの車が止められるトイレも完備した村営の駐車場です。

ここから200mほど自動車道を進むと、左に上って行く雲取山・七ツ石山登山道の入口があります。

このあたりは多摩川水源森林になっています。「多摩川水源森林隊活動地」の看板も立っていました。土地所有者やボランティアの人たちが、水源地にふさわしい緑豊かな森林に再生するための活動を行っているそうです。

しばらく行くと七ツ石山への行程の半分のところに水場があります。冷たい山の湧き水。

先日の「川の博物館」の、三峰山博物館 名誉館長 山口民弥さんの講演でも、江戸の人たちが必要とする水の水源地との関連で、お犬さま信仰(山の信仰)があるみたいなことでしたが、川を軸として、上流と下流は繋がっているんですね。

喉がからからに渇いたときに出会うこの湧き水のありがたさは、江戸の人たちの水に対する切羽詰まった気持ちと同じようなものがあるのかもしれません。

森林を守ることは、すなわち自然(山)との付き合い方を見つめなおすこと。お犬さま(狼)は、まさに自然(山)の象徴、自然(山)の神の使いということだろうと思います。

登山道にはところどころに、「将門伝承」の解説看板が立っています。「七ツ石」の由来となっているのもこの将門伝承です。七つの岩は将門のお供の七人の武者が石化したものだそうです。

登山道入り口から写真を撮りながらゆっくり歩いて約2時間半、七ツ石小屋に到着しました。小屋の裏側は、ちょっとした休憩所・展望所になっています。ここでジュースを買って、一休み。

周りの山並みが見えます。天気が良ければ富士山も見えるそうですが、あいにく、この日は雲で隠れていました。

最後の30分の登りはけっこうこうきつかった。普段のなまくら生活がたたって、息を切らしながら登ると、開けた場所が現れ、山の名前の由来となっている「七ツ石」の岩が並んでいて、その直下に屋根掛けされた神社の社殿が見えました。

ここが七ツ石神社。神社とお犬さまの話は、明日詳しく書きます。

神社からさらに100mほど上ると頂上です。標高1757.30mの山頂碑が立っています。

天気のせいもあるのかもしれませんが、山頂からはあまり展望がよくありませんでした。

もう一度神社に戻って撮影をし、下りも約3時間かけてゆっくり駐車場まで戻りました。突然登山道を大きなカエルが横切りました。
 
 
 
 
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2017/09/10

菱川晶子著 『狼の民俗学 人獣交渉史の研究』

170910_1(遠野市 荒川高原牧場)

170910_2(奥州市  衣川三峯神社)

170910_3(奥州市  衣川三峯神社)

170910_4(奥州市  衣川三峯神社 狼像)

170910_5(奥州市  衣川三峯神社 狼像)

170910_6(奥州市  衣川三峯神社 狼の神札)


人と動物の関係を探る人獣交渉史の研究ですが、主に狼の民俗の世界を紹介しています。

かなり内容が濃く、また豊富ですが、一番面白いと思ったところは、狼が地方によって呼び方がさまざまあったことと、それが時代とともに変わっていること。

まず、そもそもの話として、狼の語源は何なんでしょうか。鎌倉時代の辞書『名語記』によると、

「「オホカミ」とは、「大神」からきており、「大神」はまた「山神」と呼ばれているのがわかる。今日もみられる狼を山の神とする伝承は、鎌倉時代にすでにあった」

一方、江戸時代の語学書『和句解』からは、

「いわゆる「大咬」とある。・・・(略)・・・狼の語源としてはこれらの「大神」と「大咬」の二説が有力なようだが」

と菱川氏は書いています。

なるほど。「大神」と「大咬」の二説あるんですね。

さらに、明治時代からの名称はどうかというと、「名称分布図」によると、

オイノ
オイヌ
オイヌサマ(オイヌサン)
大犬(オオイヌ)
オーイン

オオカメ(オオガメ)
カメ
オカベ
山犬(ヤマイヌ)
山の犬

などの名称が、日本地図上にプロットされています。

「「狼」が全国的にほぼ均等にみられ、「山犬」も岩手県から大分県までの広がりをみせている。しかし「山犬」には分布上の偏りが若干あり、山梨県、長野県、四国地方に多い傾向がみられる。これらの地域はまたお犬信仰の篤い地域でもあり、信仰との関連が想定される。・・・(略)・・・「オイヌ」は東北地方に多くみられ、「オイヌ様」になると東海地方まで広がっている」

とあります。この傾向を見ると「お犬さま」は東日本の名称ということですね。でも、同じ「お犬さま」でも、秩父を中心にした関東と、東北ではちょっと意味が違うようです。

三峯神社を総本山とする狼信仰は、遠く東北地方にまで広まりました。

その1社、衣川三峯神社は、世界遺産の平泉中尊寺本堂から北西1.5kmほどのところに位置し、東北の狼信仰の中心になった神社です。江戸時代中期の享保元年(1716年)、総本山・三峯神社から分霊勧請されました。

ここは馬産地でしたが、狼が馬を襲う被害が多発していました。被害は深刻だったので、名馬を贈るなどして必死で三峯神社から分霊してもらったと言われています。

つまり、ここでは秩父と違って狼は益獣どころか害獣だったということです。むしろ祟り神として恐れられていました。

その狼を狼(お犬さま)で封じたというかっこうになります。毒をもって毒を制すということばもある通り、同じもので防ぐというのは、ある意味理にかなっているかなとも思います。

『狼の民俗学』によれば、東北では「オイヌサマ」ではなく「オイヌ」が多い傾向があるようです。

衣川三峯神社では「オオカミ」と呼び「お犬さま」とは呼ばないそうです。

「サマ」が付かないのは、害獣だったことと関係するのでしょうか。
 
 
 
 
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